どの程度踏み込んだ内容にしようかと思いながら書き始めたわけですが、この記事は何かをやってきた人向けというよりはおそらくこれから始めようとする人向けの記事に仕上がると思います。
数年前からでしょうかね、割と最近のような気もしますが。
クリエイターな人で周りのリアクションを糧に作り出す人もいるんですよね。
まぁSimutransも例外ではないのですが。
アドオンを作る人もしかり、動画を投稿する人もしかり。
心当たりのある方もいると思いますしなんとなく聞き覚えのある人もいるかもしれませんがそういうことです。
それそのものは決してダメというわけでは決してないとは思いますが、その感情がどうにも歪んで「誰かのリアクションがないと創作ができない」人が出てしまっているんですよね。
まぁ、Twitterに投稿すればある程度のリアクションが付きますし、動画に関しても再生数やコメントなんかが付くのでそれが糧になるのもうなづけます。
それそのものは決して悪いわけではないんです(2度目)。しかし、それに頼りすぎることが何より自分にとって決して良いものではなくなってしまう可能性があるんです。ということをTwitterで語ってもおそらく通じないだろうなということでこうして記事に起こしました。
とはいっても先述の通り、当事者向けに語る内容ではない方向で書き進めています。
そういうことです。
で、話は戻るんですが、なんでリアクションを糧にして創作活動を行うとよくないこともあるのかという話ですが…
必ず安定してリアクションが供給されるわけではないんです。
相手も「人」であるがゆえに流行り廃りに流されるわけです。
それでもリアクションを求めることを続けられますか?リアクションがなくなることに耐えられますか?
自分が勢いに乗ったとき、その勢いを知ると忘れることができなくなってしまう人もいるわけです。
そこが恐ろしいところで、そこに変な向上心が生まれると「自分は前回を超えられる」と思ってしまうのです。
大した協力者もなくただひたすらに見ず知らずの誰かがリアクションを付けることを待ち続け、前を超えるどころか現状維持をするのが精いっぱいで…
もちろん、応援してくれる人もいますが、そういう人たちも時には疲れます。
それでも協力が得られるものだと思い込んで、周りを巻き込むわけです。
そうして周りを疲弊させてなお、人にリアクションを要求し続けるわけです。
まっとうに物事を考えられる人ならこれが如何に馬鹿げてる考えかわかるかと思いますが、それすら考えられない状態に陥るケースも出ているわけです。
これを個人的には「リアクションに溺れる」と言っています。
人にリアクションを求めるというのはとても過酷で自分の作りたいもの、作れるものを作れるわけではなく、常に人が求めてるものをリサーチして作り続けるしかないのです。
時にリサーチが足りなく、時に技量が伴わなくても作らなくてはならないのです。
それが果たして趣味と言えるのでしょうか?楽しいと言えるのでしょうか?そこまでしてやらなければならないことなのでしょうか?
特にSimutransの世界は思っている以上に広く見えても狭いものです。まさに井の中の蛙大海を知らずといったところでしょうか。
それでも空の深さを知ることはできるのですが、それを忘れてしまってはおそらく何も楽しくないでしょうね。
ココで悩むことになるのでしょうか…
そしてなぜか、自分の作ったものを消してしまったりするわけです。
まぁ、見られもしないものを公開しても仕方ないという考えでしょうかね。
でも、これも個人的にはご法度と思っています。
というのもそれでも、自分のファン、応援してくれる人がまだ残っているものです。
その声に耳を傾けることができるのならそんな考えまで至らないだろうですが。
そして、消すという行為は応援してくれるファンを自ら拒否する行為とも思えます。
消すなら消すで声明を発表してもいいのではと思いますがそれすらせずに。
きっと声明を出せばそれを阻止しようと説得する人が出てくるだろうなんて考えているのかもしれません。
自分の作品ですから煮るも焼くも人の勝手です。
でも、人の感情を糧にしておきながら自分の都合で自分のファンを裏切るという行為が果たして人から受け入れられるでしょうか?
その点をよく考えて行動してもらいたいものです。
そもそも創作活動を始めたきっかけって何でしょうかね?人からリアクションを求められたいからでしょうかね?
もう一度立ち返って考えなおしてみたほうがいいのではないでしょうか。
こういう話を聞いてもなお人のリアクションに溺れて創作活動を続けますか?
そういう話でした。長々とお読みいただきありがとうございました。
なお、このブログは自己満足9割で書いていますのであしからず。