Discord鯖始めたりアンケート取ったりして後回しになりがちだった大好評のこのシリーズ、Twitter経由でそこそこのアクセスをいただいたようで、待望の第2回と行きます。
さて、前回 (http://pm1965.hatenadiary.jp/entry/2019/03/03/230911)なぜあの形の半島のマップを選んだのかというところから話を始めましたが、今回はあの半島にどのようにして長距離列車を走らせることに成功させたのかという話を進めていきたいと思います。
解説が割と簡単かつ誰でも実践できて、説明しやすい1971年の長距離列車系統から話をしたいと思います。
時代としては在来線特急全盛期で新幹線開業前夜の時代といったところでしょうか。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm15355033
https://www.nicovideo.jp/watch/sm15475467
ちょうど開発記でいうとこのくらいの時代の話です。
1971年、半島から見て南に浮かぶ島々にも鉄道路線が伸びて、都市間特急が熊谷駅を中心に各地へ走り、一部路線では急行列車がそれを補完するような運行形態が基幹となっています。
そんな中、広大な海を走る船舶路線ネットワークが大きく広がっているのが上の図からもわかると思います。
特に東海岸線から常山線、海雲線、七里野線方面へと幹線鉄道を補完するように船を運行することによって海上から鉄道路線を補完するネットワークが乱開発時代よりも遥か前から築かれていたのです。
また、海雲線は南海鉄道をイメージした海南鉄道が並行しており、表向きは競合ですが、実態は幹線系統の補完をしています。
さらに海雲線から常山・多賀城方面は熊谷から高速バスを運行することによって特急列車の利用者を分散させています。
これらにより、さまざまな系統の列車が走る海雲線系統に若干の余裕を作っているのです。
さて、様々な運行系統が設定されていますが、この記事ではとくに最長距離を走る特急に関する系統をピックアップして話していきたいと思います。
この時代におけるマップ最長の長距離列車は熊谷駅から安曇野、笠岡、高砂、浪速、宇佐、亘理を経由して大竹までざっと2000マスくらいの距離をキハ181系14両編成で運行するというとてもロマンあふれた国鉄を感じる長距離列車となっています。
当然ながら沿線人口のまだまだ少ないこの時代だからこそできることなのですが、それ以外にも運行形態を工夫することで長距離列車に客を集中させることなく、この時代を乗り切っています。(乗り切れたとは言ってない…?)
特に前述の海雲線経由の特急が安曇野・熊谷から半島南部を経由して亘理市駅まで補完している点は大きいと思われます。
また、半島内の需要は急行や快速が吸収することによって北湘線沿線の駅から亘理・大竹への客も拾えるという構図になっているものと考えられます。
特に快速列車は富田林から笠岡まで速達運転しつつ笠岡以遠で各駅に止まりつつ定員の多い近郊型車両で運行することによって比較的長距離客を拾っているのも特徴です。
特急を補完する急行は半島内の主要各都市に停車することによって特急への一極集中を避けています。
また、半島先端部の普通列車は高砂で系統分断の形となっていますが、北湘線が経由しない本巣の町まで走らせることによって利用者をある程度確保しつつローカル輸送を担うというそれらしい利用実態を創出しています。
このような工夫によってこの時代の熊谷半島の長距離列車は成り立っているのです。
次回は新幹線の設計思想でも解説してみたいと思います。
その前にアンケートの集計結果と考察が出てくると思いますが…